みなさん、こんにちは。
職権濫用しがちな情報宣伝部長・うかです!
昨日更新されたぽっかの好きなことブログはご覧になりましたか?
いつもと違った書き方で面白かったので、私も少し趣向を凝らしてみようと思います。
今日更新するのは、【京都】がテーマのエッセイです。(これから書くことがない月は京都と◯◯でエッセイを書くことにしました)
ぜひ読んでみてください。
うか’sエッセイ「京都と言葉」
内定先のオフィス見学での出来事である。
「そういえばあと30分かかるって言うてはりましたね」と私が言うと
「わぁ〜〜聞いた!?京都弁だー!すごい!」と歓声があがった。私は滋賀県出身だが、両親が京都出身なので、京都らしい話し方をするらしい。
「〜はる」は確かに京都らしい言い回しだが、他にも代表的な京言葉には、「はんなり」(=陽気で上品な明るさ)や「いらう」(=いじる・さわる)などがある。なんとなく上品で可愛らしい言葉が多い印象を受ける人が多いのではないだろうか。
私はまんざらでもない態度で社員さん達の言葉を受け流しながら、京都で掛けてもらった印象的な言葉について考えた。浮かんでくるのは、留学生が残したパワーワードと嬉しい言葉の数々である。
私は大学二年生の秋から地元・滋賀を出て京都で暮らし始めた。立命館インターナショナルハウスのメンターとして採用されたためである。生まれて初めての集団生活、外国人留学生との交流は私にとってとても刺激的だったが、悩みも尽きなかった。一番困ったことは言葉が通じないことだった。
メンターはある程度英語ができる人が採用されるので、TOEIC800〜900点台の化け物がざらにいたが、当の私は400点台だった。私の英語力がどの程度のものかというと立命館大学の国際課に「レジスタント・メンターについて(=反逆の指導者について)」というメールを送るほどだ。正しくは「レジデント・メンターについて(=寮の助言者について)」なのだが、英語がさっぱりの私はなんの違和感もなく送ってしまったのである。そういうわけで、私は留学生とのコミュニケーションに苦労していた。その苦労は半年の時を経て形を見せることになる。
うちの寮では半年ごとにメンバーが入れ替わるため、夏と冬にはフェアウェルパーティー(=お別れ会)が行われる。その時に寄せ書きを書き合うのだが、最初のセメスターの寄せ書きを見て驚いた。
「大人しいLadyですね」
ペトラが書いたこの言葉は私の心臓をグサリと突き刺した。私は英語が苦手だ。それを自覚しているからますます話せない。その結果、本来は陽気でおしゃべりなキャラクターである私は寡黙で大人しいキャラクターだと認識されていたようだ。
「英語が話せない私はメンターとして役に立っているのだろうか」そう考えると苦しかった。どんなに単語を覚えてもいざ留学生を目の前にすると舌がつかえて話せない。自分の無力さを痛感する日々だった。
ある日、私はあきらめた。そして決心した。これからは日本語を貫こう。
その代わりに「わかりやすく・はっきり・ゆっくり」話すことを徹底し、英語ベースの留学生でも聞き取りやすいよう工夫した。留学生達も「こいつは日本語しか話さない」とわかると積極的に日本語で話しかけてくれるようになった。最初は、不得意な言語を使わせることが申し訳なく情けなく感じたが、ある日アマイアとレインが掛けてくれた言葉が私の転機となった。
「きょうかとなら日本語でのコミュニケーションがこわくない。もっと日本語を練習したい。」
私はこの時にはじめて「日本語の練習相手」という自分の役割を見つけて、自分を認めることができたのである。このセメスターの最後にアマイアからもらった寄せ書きを紹介したい。
「I don’t know how to express but, 心の中に『きょうか』という特別な場所がある」
この言葉が、私が京都でかけてもらった言葉の中で一番嬉しかったものである。
京都という場所は私にとって、日々留学生の愛らしい日本語を聞かせてくれる場所であり、新しい仲間と絆を築いていける特別な場所なのである。
これからも京都で紡がれる言葉が美しくありますように。