こんにちは。こんばんは。じゃぽです。
夏なので、怖い話を1つ。
昨日、土砂降りなもんで、携帯電話でタクシーさんを呼んで予定先まで移動しました。運転手さんとの談笑のあと、ポケットにあるお財布を取ろうとしたら、ぽろっとカギを助手席の下に落としてしまいました。手を伸ばしてもなかなかカギらしいものに触れることができません。なかなかヒヤヒヤしました。
鍵も見つかって安堵しながらお支払いも済ませ、気持ちを切り替えてタクシーから降りました。傘を差しながら、ポケットに再度、鍵とお財布と携帯電話があることを確認して。あれ?携帯電話がない。あれ?タクシーさんも見当たらない。
さて、私が好きなことは『芸術』です。
私は、芸術の中でも視覚芸術、簡単にいえば「絵」が好きです。特に描く方が好きでした。いつから絵が好きなのかはもう忘れてしまいましたが、小学生になる時にはなんとなく絵が好きだと感じていた気がします。
私は昔から親に繊細であると言われていたため、それが何かしらの形で感性として結びつき、絵を通して発散させていたのかもしれません。
昔の私へ。
感性や感受性は、時に鬱陶しく、時にめんどくさい人間になってしまうのだから、養うならほどほどにしてね。未来の私より。

↑特にのっける写真もないので、成長した姪っ子のイメージ図
そして、芸術について少しだけ語ります。
芸術は芸術といっても、一言では決して表せません。視覚芸術や、舞台芸術、言語芸術、音響芸術など、多岐にわたって存在します。また、あくまでもそうした区分は便宜上のもので、捉え方も千差万別であるため、なかなか難解で考えれば考えるほど、めんどくさい分野だと思います。
しかし、そんな厄介な芸術にはなにかしら触れておいた方がいいと思います。
それは、分かりやすい言葉で表せば心が豊かになるからです。
あなたは芸術作品の観賞直後に暴力的な心を抱くでしょうか。傲慢な心を抱くでしょうか。
おそらく抱かないと思います。
私は観賞後に大抵、満たされたという気持ちになります。
大きなストレスを抱える現代人にとって、芸術は救いを差し伸べてくれます。
芸術はある種宗教の代替わりとも言えるでしょうか。
さいごに
「あらゆる人は芸術家である」
これはドイツの芸術家のヨーゼフ・ボイスの言葉です。
決して、その文字通りの意味で解釈すべきではありません。
誰でも、絵描きさんになれるだとか、歌手になれるという話ではありません。
芸術とは、ある解釈では人の心を動かすことだと言います。
その解釈で考えたとき、人の心を動かす活動は全て芸術活動といえるでしょう。
ボイスの言葉もそうした解釈で使われていると考えるべきでしょう。
もし、あなたが今この文章を読んで共感し、美術館へ行くようになるのだとすれば、私はこの文章を通して芸術活動を成せたと言えます。
観客はたった1人、あなただけでもいいのです。
なんていう、いつもよりちょっとカッコつけたことを書きましたね。
今日も1日お疲れさまでした。

「祈る手」1509年 アルブレヒト・デューラー